「元祖 ぎょうざ苑」は、昭和26年(1951)に創業しました。
初代・頃末芳夫は、大正時代後期から昭和初期にかけ、岡山県から中国の満州と山東省に移住し貿易と日本食レストランを営んでいました。
当時雇っていた中国人の料理人(職人)から、餃子の作り方を学びました。
初代は餃子がとても気に入り、満州に居住する多くの日本人に餃子を紹介したそうです。
「純情」という名の店で日本人居住者向けに出した「焼いた餃子と味噌ダレ」は好評で大繁盛でした。
終戦帰国後、現地で食べた「餃子」と「ジャジャ麺」の味が忘れられず、また当時の日本では餃子店が無かったので、
「日本でもこの美味しい餃子を紹介したい」という気持ちから、海運・貿易で栄えていた 港町神戸に店を構えました。
「日中友好の料理が餃子」が初代の口癖でした。
満州由来の貴重な餃子店
本来の中国の餃子は水餃子・蒸し餃子で、焼き餃子は存在していませんでした。
使用人達が残った水餃子に火を通して翌日に食べたりして保存食にしていました。
「焼餃子」という漢字もなく「鍋貼(コーティエ)」と呼ばれていました。
料理として認められていなかったのです。
ですが中国満州の日本人には焼いた餃子の方がご飯や醤油に合うことから好まれました。大正時代には残り物の水餃子を焼いたのではなく、最初から焼くことを目的とした餃子「日本式の焼いた餃子」が誕生して文献にも記されています。
日本式餃子の事を満州由来の餃子と称します。
当店は満州由来の伝統的な餃子を専門に扱う貴重な店です。
(日本で現存するのは当店のみとなりました)
焼き餃子発祥の店
焼餃子(鍋貼)の発祥、日本で初めて焼いた餃子を売った店は昭和20年代頃と言われており、諸説紛々としており断定はできないそうですが、 当店も候補の1店になっています。 餃子を扱う中華料理店ではなく、餃子専門店としての発祥は「元祖 ぎょうざ苑」が日本初である可能性が高いと評されています。
写真は昭和32年当時の店内です。鍋貼(やきぎょうざ)大百円小五十円と書いています。当時の物価を考えると高価であったことがわかります。(注:大10個小5個)
中央紺色の服が初代(頃末芳夫)右側帽子の男が二代目(頃末憲作)
初代の左側に餃子を焼く大きな鉄鍋、二代目の左手に満州式の皮、カウンターには
味噌だれの缶と当時の餃子が写っている餃子界においては貴重な写真です。
幻の満州式 餃子の皮づくり
当店の独特の餃子の皮づくりも、満州時代の作り方です。 通常の中国の餃子の皮づくりでは、棒状に延ばして指や包丁で千切りヘラで一枚ずつ薄く丸く延ばしていきます。 初代を始め教えてもらった当時の日本人達にはとても面倒に思えたそうです。 そこで昭和初期の日本の家庭では、うどんやそばを打つ習慣があったので、 ヘラや指で千切らずに使い慣れた大きな麺棒で一気に延ばして薄くしてから、 お茶の缶の蓋で丸く貫いて餃子の皮を作っていました。 この作り方を満州式の餃子の皮づくりと呼びます。 今も当時のまま、満州時代(日本人居住区)の独特の手法で、 カンカンと手作りの餃子の皮を お客様の目の前で実演して餃子を包んでいます。 弾力があり餅のようにのびる餃子の皮は「幻の満州式餃子の皮」と称されます。 現存して実演できるのは当店だけとなります。
美味しい餃子の秘密(神戸ビーフ入りの餡)
神戸牛!A5ランク神戸ビーフを餡に9.1%練りこんだ餃子です。
2014年10月28日から「もっと美味しい餃子をお客様にお召し上がり頂きたい」という思いから神戸牛を餡に配合しました。神戸牛のコクとジューシーさが名物餃子となりました。
当店の餃子の餡には、脂肪分が少なく、やわらかくて美味しい鹿児島産豚肉・神戸ポークを使い 、野菜(キャベツ・ニラ)国産食材です。またニンニクや添加物(うまみ調味料)などは使用しておりませんので、においの気になる人、小さなお子様、お年寄りも安心してお召し上がり戴けます。塩は「赤穂の天日塩」、有馬山椒が隠し味と一粒にこだわります。
「美味で安心な餃子作り」に日々励んでいます。